01たろうのはじまり
01たろうのはじまり
生家は金沢と熱海に拠点を持つ老舗の和菓子屋。高校まで神奈川で育った私は、卒業後に渡米、憧れだった音楽や文化の発信地・アメリカのボストンで学び、5年間暮らしました。海外生活を謳歌しながらも、頭の片隅には「長男だから実家を継がないと」という思いがあり、外から日本を眺めた経験は、大きな糧となっています。
1992年に大学を卒業し、帰国後は祖父のもとで修業を開始。あんこ炊きから経営まで、見よう見まねで取り組むうち、「和菓子とはなにか」について、考えるようになりました。
伝統文化と深いつながりのある和菓子。偉大な先人たちが積み上げてきた技術や思いが伝統となって、いまに通じています。けれど、伝統を重んじるあまり、チャレンジを恐れ、革新的なものが生まれにくくなっているのでは? という葛藤もありました。
そこで、30代で社長に就任した時、掲げたのは「ライフスタイルの延長線上にある和菓子づくり」でした。畳とお抹茶の世界から、リビングのコーヒーブレイクまで、現代のくらしにもなじむ和菓子を作りたいと思ったのです。
そんな私と親族の間に、いつしか確執が生じ、35歳で経営から身を引くこととなりました。道なかばで和菓子業界を去り、知り合いの洗車専門店で働きながら、もんもんとする日々……。
半年が経ち、ふいに和菓子が食べたくなり、自宅の鍋で小豆を炊いておはぎを作りました。祖父から教わったあんこの包み方、仕事の考え方を思い返しながら、こしらえたおはぎ。自分で食べて、周りに配って、喜ばれるうちに、「もう一度、和菓子の道に挑戦したい」という思いが芽生え、2005年2月27日、貸ガレージの一角で「茶菓(さか)工房たろう」を創業しました。
従業員は、私、妻、職人の3名。仕事が軌道に乗るまで、大家さんがガレージの賃料を免除してくださり、機械屋さんから機材をお借りして、スーパーや旅館の売店に商品を置いていただきました。お茶の先生にお稽古菓子として使っていただくなど、店舗のない時代からたくさんのご縁に支えられて、歩んできました。
02たろうの探求する和菓子
02たろうの探求する和菓子
前職の社長時代から、和菓子の歴史をたどった上で、何を守って何を変えていくかを考え、行きついたのは原材料の分類でした。基本の和菓子は、植物性の素材から作られます。昔ながらの製法を守りつつ、素材のかたちをアレンジすることで、いまの生活空間になじむ和菓子を探究してきました。
「茶菓工房たろう」として再始動してからは、思い切って、和菓子=技術(煮る、炊く、蒸す、包む)を残して素材の垣根を取っ払い、コーヒー、ピーナツバター、チョコレートなどの素材を取り入れました。
周りからはよく「和洋折衷ですね」と言われますが、そもそも和菓子のルーツは、中国やオランダからやってきたお菓子を、日本人の舌に合うようアレンジされたものがほとんどです。
例えば、ようかんは羊のにこごりを日本人が小豆と寒天を使って作りかえ、もともとは小麦粉で練った皮に羊や豚の肉を詰めたまんじゅうも、日本に渡って生地やあんが変化しました。
そのままをまねるのでなく、アレンジして新しいものにする島国独特の文化。日本の和菓子も、このような影響を受けた歴史があります。
さらに、文化というものは、気候や風習などの地域性から育まれるものです。金沢には「福梅」、「金花糖」、「氷室まんじゅう」など和菓子を用いる行事が多く、慶弔菓子から来客時のおもてなしまで、日常風景に和菓子が溶けこんでいます。
地域の文化的豊かさに感銘を受けるとともに、その思いにお応えできる和菓子屋でありたいと願っています。
03ものづくりと
アイデア
03ものづくりとアイデア
たろうのインスタグラムの写真は、自ら撮影しています。工房で新商品を試作し、いざカメラのファインダーごしに眺めると、インパクトに欠けると感じることも……。そして、豆をもっとふっくらしたい、色を加えたらどうだろうと、さらなるアイデアが湧いてくるのです。
写真には、カメラを向けた人の思いや感性が映し出されます。どうすればお客様が感動する和菓子を作れるだろう? と考えた時、カメラを構えることで、何をすればいいのか自ずと見えてきます。
私の役目は「お客様とお菓子をつなぐ」こと。職人や販売スタッフの熱意がお客様の気持ちにマッチするように、たろうらしいものづくりとは何かをつねに問い続けています。
043世代の職人と
新工房
043世代の職人と新工房
世間でまだお菓子屋に「工房」とつけることが少なかったころ、屋号を「茶菓工房たろう」と名づけました。工場という意味合いを残しながら、クリエイティブなものを生み出す工房でありたいと願いをこめています。
2019年9月には長年の夢だった、たろう本店兼工房が完成しました。自然光がたっぷりと入る広い窓、天候や季節の移ろいを感じる中庭、一番眺めのよいカフェのような休憩室など、たろうのスタッフたちがより人間らしく、いろんな思いを重ねて感性豊かに楽しく働き、それがよい循環につながるような場所として、徹底的にこだわりました。
若手たちが「こんな場所で働きたい!」と思えるような設計・デザインの工夫がちりばめられています。
たろうには20~70代の職人が在籍しています。技術の継承が行われる職人の世界で、3世代が学びあい、刺激を受けながら元気に働ける職場づくりを、何より大切にしています。
05伝統と新しさ、描く未来
05伝統と新しさ、描く未来
今日まで和菓子の技術をつないでくださった先輩職人たちへの敬意を決して忘れることはできません。その上で、私たちは技術の再現者にとどまらす、新しいものを生み出していく未来へのつとめがあります。
例えば、たろう本店限定のもなか「窓」は、90度のくの字型のもなかを2つ組み立ててキューブにしたものです。もなか皮は型の性質上、角が丸くなるため、パズルを組み立てる発想で自ら図面を引き、特注で作っていただきました。変わった形のもなかができたと、和菓子業界では話題になりました。
考えぬけば、必ずぬけ道があります。あきらめないで、閃きをひとつひとつ試していくことが成長につながると、私は信じています。
日本三大和菓子処といわれている京都、金沢、松江。城下町であり、お茶文化の盛んな土地柄で、和菓子職人たちも試されていると感じます。これから和菓子がどこへ向かうかは分からないけれど、お客様がどのような気持ちで、どのようなものを求めているのか、アンテナを張り巡らせ、柔軟な発想で応えていくことが必要です。
いま始めたことが定番化すると、100年後には伝統になります。時代とともに形を変える、「文化そのものを作っている」という誇りを持って、日々励んでいます。
そんな、たろうが進む道は、王道の斜め上。やってみたいことに挑戦しながら、この変化の大きい時代にお客様は何を望んでいるのか、感性をとぎ澄ませ、予算ありきでなく、よろこびや感動をカタチにする、唯一無二の存在であり続けます。